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日清戦争120年の中国共産党宣伝、国際的に無理

 7月25日が120年前に日清戦争の火蓋が切られた開戦の日でした。この敗北をきっかけに傾いた国運を立て直したのが中国共産党と臆面もないプロパガンダですが、中華圏の宗主国だった地位は全く回復されていません。いくら世界第2位の経済大国になったからと言って尊敬されないのは、南シナ海で原油掘削装置を巡って昔は属国だったベトナムが敢然と立ち向かった例で明らかです。自分からにじり寄っていく国は、清朝世界でナンバー2を自認していた韓国くらいで、またナンバー2になれるとファンタジーを膨らませているよう。

 東洋経済オンラインの《中国で沸騰、「なぜ日清戦争に負けたのか?」120年前を起点に語られる民族復興のストーリー》が《120年前の7月25日、日清両国の海軍が仁川の沖合で激突した。いわゆる豊島沖海戦である。これによって日清戦争(中国では”甲午戦争”)の火蓋が切られた。両国が正式に宣戦を布告したのは8月1日だが、中国では7月25日が日清戦争が始まった日として認識されている。そのため、25日には中国の主要メディアがこぞって日清戦争敗北の意味を振り返る特集記事や論説を掲げた》と伝え、中国側の視点をまとめています。

 《中国人に、再び「中華民族」としての精神のよりどころを与えたのが中国共産党だという。中国において日本を語ることは、すなわち自国を語ることだということがよくわかる。中国において共産党の正統性を強調するためには、甲午戦争から始まる日本との戦いというストーリーが欠かせないのだ。中国が日本に「歴史問題」を提起するときは満州事変以降の日中戦争だけを対象にしているわけではない。東アジアの地域秩序はリセットすべきだという発想が根底にある。韓国と歴史問題で共闘したり、日本領とすることが日清戦争のさなかに閣議決定された尖閣諸島を自国のものだと主張するベースにも、こういう考えがあるのだ》

 ちょうど朝日新聞の《中国メディア、国防力の増強訴える 日清戦争120年で》が報じる人民日報の論評が呼応しています。《「甲午戦争の失敗の内因は、清末の腐敗しきった制度と官僚だった」と指摘。「勝敗を分けるのは海戦。沿岸警護しか知らない海軍が、大海制覇の野心に満ちた海軍に惨敗するのは当然だ」とも主張し、「反腐敗」や「海洋強国」を掲げる習近平指導部の政策の正当性をアピールした》

 身内相手の狭い了見の宣伝にうんざりですから、ここは日本側の視点をぶつけるより、第三者の目で語ってもらうのが良いでしょう。北大スラブ研究センターニュースにあるサラ・ペイン氏(US海軍大学)の《日清戦争 1894-1895》が目につきました。日清戦争で決定的に変わったアジア秩序は今もって同じと言えます。

 《東洋においても西洋においても人々の認識を変えたこの戦争は、極東に関与している全ての諸国の外交政策に影響を及ぼした。 中国の脆弱性への認識は、より攻撃的な外国の侵入を引き起こし、「利権の奪い合い」として知られる、海外の列強が中国を勢力圏に分割する時代を招いた。逆に、日本の強さに対する認識は、日本を列強の地位へと導いた。1902年の日英同盟は日本の新しい地位を正式に認めるものであった。これはイギリスにとって、ナポレオン戦争の終結から第二次世界大戦までの間の、唯一の同盟だった》

 《戦争は中国を奈落の底へ沈めた。それは中国が捨て去ることの出来ない、優越性への執拗な自覚の根幹を打ち砕き、世界における中国の地位の見直しを余儀なくさせる。かつての儒教世界の構成員である日本に敗北を喫したことは、アヘン戦争を含む、かつてのいかなる西欧諸国による敗北よりもこれを決定的にする。なぜなら異なる文明による敗北ならば軽く扱われうるが、儒教秩序のかつての構成員による敗北ではそれができないからである。同様に、中国におけるいかなる政治的安定の痕跡も打ち砕かれただろう。儒教秩序から変化した構成員による勝利は、この秩序の正統性を決定的に掘り崩した。中国人にとってこの戦争は、彼らの世界を覆すものとなった。一世紀後の今なお、中国は長い間中華思想の根幹を形成してきた安定的な儒教秩序に代わる、満足のいくものをまだ見つけていない》

 日清戦争の当時、GDPは中国が圧倒的に上でした。百年余り経過して、人口が10倍ある国に再び凌駕される時代が来て、中国の工業化にも十分手を貸した以上、不思議がることはありません。日本としてはGDPより人口減少問題こそ目を離せない課題です。第285回「日本の世界人口シェア、江戸中期3.9%が最高」で示したように、人口の世界シェアが現在2%近いのに、2050年には1%に落ちてしまうのです。また「富む前に老いてしまう」と考えられている中国の急速老齢化については第378回「日本に続き中国も超特急で超高齢社会へ突入予定」で描きました。


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