<< June 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
 
Latest Entry
Profile  Facebook
Dando's Site
Category
Search

Archives
Recent Comment
  • やはりノーベル賞大隅さんの警鐘を無視した政府
    森田 (06/19)
  • 自主避難の根拠は放射線障害防止法の下の平等
    宮本由香里 (05/15)
  • 社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機
    森田 (05/08)
  • 社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機
    業界人 (05/06)
  • 社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機
    あ (05/05)
  • 科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア
    森田 (04/23)
  • 自主避難の根拠は放射線障害防止法の下の平等
    (04/08)
  • 京大さん、日経さん、ネット調査信頼は無茶
    (01/16)
  • 国にも原発事故責任、無原則な東電救済を許すな
    森田 (12/25)
  • 東アジア諸国の生産年齢人口が減少に転じる
    森田 (12/18)
Recent Trackback
Admin
   
Mobile

絶対的医師不足の激化しかない新専門医制度導入

 医療崩壊が言われ始めて10年余、ウォッチして来た立場から来年導入の新専門医制度は絶対的な医師不足を激化させるしかないと考えます。大学の医局が再び研修医を抱え込む新体制は潤沢な医師数が無ければ無茶です。医学部の新増設に反対してきたのが医学界の大勢の中、2004年の初期研修医制度導入で研修医が大学を離れて自分で研修先病院を選ぶようになって、医局の力は地に落ちました。新専門医を育てる基幹施設は大学が中心とすることで復活したいとしか見えません。自前の努力で研修医を集めてきた自治体や中小病院が先行きを危惧して当然です。残念なことに、マスメディアは推進側と反対派の主張を両論併記する報道で逃げておく姿勢がありありです。

 2006年6月に《医療崩壊が産科から始まってしまった [ブログ時評59]》を書き、翌年には《お産の危機は首都圏にこそ迫っている [ブログ時評83]》で医師数が足りなくて地元で出産できなくなっている県があると指摘しました。最も医師不足が深刻な領域の一つ、産婦人科で調べれば新専門医制度の問題点が明らかになるでしょう。


 日本産科婦人科学会と日本産婦人科医会が2014年に出した「わが国の産婦人科医療再建のための緊急提言」から引用したグラフ「資料2 2008-2013年度の都道府県別新規産婦人科医数(人口十万対)」です。学会と医会は年間500人の新規医師が欲しいと願っていて、それが真ん中の赤線です。全国的にとても足りていません。特に赤い棒グラフの県は希望レベルの半分以下で「極度の重症」と申し上げるしかありません。

 《過去6年間の都道府県別の人口あたりの新規産婦人科専攻医数には明らかな地域格差がある。東京、京都、大阪、岡山、徳島、福岡の都府県で研修開始した医師は相当数が周辺県に派遣されるなどして、その県の産婦人科医療に貢献しているものと考えられるが、そのような広域連携を考慮しても、資料2で赤で示した県については、絶対的不足状況に対する、緊急のてこ入れが必要と考えられる》

 赤グラフでも全国最低レベルにある福島で初期研修をした山本佳奈さんが《Vol.043 「基幹施設は大学が基本」が招く産科医療の危機 〜地方から考える産婦人科専門医制度〜》でこれから何が起きるか示しています。

 《私が初期研修を行った福島県の南相馬市立総合病院の産婦人科の常勤医は、たった一人だ。年間約230件ものお産を、常勤医一人でこなしている。一方、福島県立医科大学は常勤医18人に対し、年間分娩数は499件だ(2015年度)。常勤医一人当たりの分娩数はたったの24件である。どちらの施設で研修する方が、より経験を積むことができるかは一目瞭然だ。だが、南相馬は一人しか指導医がいないため、福島県立医大の連携施設の扱いだ。専門医を取得したければ、基幹病院である福島県立医大に所属しなければならない。どうすれば南相馬で研修ができるのかと、福島県立医大の産婦人科教授に相談したところ、「産婦人科医師が一人しかいない病院に専攻医は派遣することはない」と断言されてしまった》

 このままでは「地域医療に支障をきたす」と懸念する全国市長会に対して、日本専門医機構は大学への研修医吸い上げがあっても研修過程で関連施設に派遣するから支障はないとの立場です。でも、年間230件ものお産で孤軍奮闘している一人医長の病院は対象ではないのです。

 厚生労働省はまだ来年実施に必ずしも同意していません。6/13付、メディ・ウォッチの《専門医機構、地域医療への配慮について「必ず」都道府県協議会の求めに応じよ?厚労省検討会》はこう伝えています。

 《新たな専門医制度によって地域・診療科の医師偏在が助長されないよう、専門医機構は、研修施設群の状況などを「必ず」都道府県協議会に情報提供し、かつ都道府県協議会で「是正の必要がある」などとの求めがあった場合には「必ず」協力するべきである?。12日に開催された「今後の医師養成の在り方と地域医療の確保に関する検討会」(以下、検討会)では、荒井正吾構成員(奈良県知事)からこうした強い要請が出され、日本専門医機構の理事長である吉村博邦構成員(地域医療振興協会顧問、北里大学名誉教授)は関連規定の修正を約束しています。厚生労働省医政局医事課の武井貞治課長は、「検討会では、機構や学会が地域医療へどう配慮しているかをフォローしていくことになる。今般指摘された規定修正の状況や、都道府県協議会の状況などを見ながら、次回の検討会開催を考えたい」とメディ・ウォッチにコメントしています》

 これまでは専門医と称しても各学会で養成と認定の仕組みはばらばらであり、質を揃えたい趣旨は理解できます。しかし、絶対的な医師不足の中でおやりになるのは国民医療に重大な背信を招きかねません。医師免許を得たら一生安泰という医師のエゴが捨てられる程度に医師数を増やしてから、向上心がある医師は専門医に取り組むシステムにすべきです。医学部を作らせないで医師が足りないのに研修医は大学中心に集める――余りに自己中心的だと思われませんか。


やはりノーベル賞大隅さんの警鐘を無視した政府

 2017年版の科学技術白書を読んでみると、ノーベル賞受賞で大隅さんが発した日本の科学研究への警鐘を政府は予想通り無視したと断ぜざるを得ません。その後の内外からの政策批判にも聞く耳を持たずメディアも同調です。科学技術白書は《特集 2016年ノーベル賞受賞、及び学術研究・基礎研究の振興に向けた我が国の取組》との大特集までして「素朴な疑問に根付いた知的好奇心」から発した大隅さんの仕事を研究関連データを跡付けて称賛、さらに「日本の基礎科学力の揺らぎを生じさせている危機的な課題」にまで踏み込みます。しかし、具体策として挙げられている政策は従来のままであり、それが科学技術白書自身が「トップ10%論文の順位で比較すると、この10年の間に、日本は4位から10位に低下している」と分析している危機の原因になっている問題に触れようとしません。

 大隅さんの警鐘は昨年10月に第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じまい」で紹介しました。当時も安倍首相以下、的はずれぶりは鮮明でした。《政府が「選択と集中」のさじ加減が出来るとの不遜さをがノーベル賞学者の憂いの対象になっているのに、国立大運営費交付金削減を毎年1%ずつ積み増ししてきた失政への反省など何処にもありません》


 科学技術白書は大隅さんの研究「オートファジー(自食作用)」に政府の科研費が総額17.8億円と大きな支援をしてきたと胸を張ります。このグラフはノーベル賞に至る大研究が国によってどうサポートされたかを知る標本です。大隅さんは東大助教授だった1988年に顕微鏡下で酵母細胞のオートファジーを発見しましたが、3年間は論文にならず科研費も細っています。東大でも認められず教授になれる見込みがなく、岡崎の基礎生物学研究所に招かれて集まった若手と単細胞の酵母から多細胞へ対象を拡張、成果を出してから特別推進研究採択などで大きな研究費が付いたのです。

 認められず苦しい時期に支えてくれた研究費はどこから来たのか、科学技術白書もこう認めています。《東京大学在籍中には、上記の科学研究費助成事業と併せ、国立学校特別会計における「教官当積算校費」等によって研究が進められてきた。このことは、研究者の自由な発想に基づく学術研究を支援する上での基盤的経費の重要性をも示すものである》

 現実は2004年の国立大学法人移行以後、毎年削り取られて、今やその自由な研究費がほぼゼロになっています。研究費どころか、教員数削減に多くの大学が走っています。ノーベル賞受賞を機に国立大学理学部長会議が声明「未来への投資」を出しました。

 《国立大学の基盤経費として措置されている運営費交付金は、独創的な研究のシーズを広く探索するための原資となります。大隅先生の研究で言えば、顕微鏡を使って動く粒を観察する過程に当たります。この時期の研究は、研究者自身にとってもどのように展開するかわかりませんので、競争的資金で支援されることはありません。ましてや産業界からの支援はあり得ません。しかし、大隅先生の研究からもわかるように、この時期の研究が決定的に重要です。この10年間以上にわたり毎年1%ずつ行われてきた運営費交付金の削減が基礎研究の体力を奪っていることは明らかです。このままでは、10年後、20年後に日本からノーベル賞が出なくなることを懸念します》


 上の図「被引用度が高い論文数の国際的なシェア」で国立大学法人移行前の2002-2004年と10年後、2012-2014年の比較を科学技術白書がしています。他の論文から引用が多い重要論文のシェアが10年で4位7.2%から10位5.0%に劇的に落ちています。いまやオーストラリアやスペイン以下です。

 「日本の科学力は失速」、危機的状況にあるとの指摘を英ネイチャー誌が3月特集でしたばかりです。第554回「科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア」で全分野での論文数シェアのグラフを掲げました。論文数全体でも最盛期に比べて半減し、国立大学法人運営費交付金の削減とぴったり歩調を合わせています。

 科学技術白書の端々には現在の政策へ違和感が滲んでいます。校費研究費の重要さを認めた上記の引用部分もそうです。けれども現実にはマスメディアから異論が出るわけでもなく国立大学法人運営費交付金の毎年1%削減積み増しが政策としてビルトインされたままです。ノーベル賞学者が放つ警鐘も理解しない愚かな政府と世界の二大科学誌ネイチャーの指摘さえ無視する大政翼賛メディア、恐ろしく情けない国になったと考えます。


中印の電気自動車へ移行は大気汚染に逆効果招く

 大気汚染悪化でワースト双璧になっている中国とインドが電気自動車への移行で切り抜けようとしています。しかし、両国とも石炭火力発電に頼っておりそこから生まれた電気を使うのでは汚染は悪化せざるを得ません。自動車のエンジンで直接生み出されるエネルギーに比べて、発電・送電さらに蓄電とステップを踏むたびにロスが生じ、さらに発電源が石炭では自動車による汚染よりも大気を汚して当然です。中国は電気自動車の世界シェアが3分の1に達してさらに拡大を狙い、インドは2030年までに国内で販売する自動車を全て電気自動車にする政策を発表しました。WHO調べの「PM2.5濃度が高い20都市ランキング」を以下に掲げます。

 《PM2.5濃度が高い上位20都市》
            (μg/m3)
1.  イラン ザーボル     217
2.  インド グワーリヤル   176
3.  インド イラーハーバード 170
4.  サウジアラビア リヤド  156
5.  サウジアラビア ジュバイル152
6.  インド パトナ      149
7.  インド ラーイプル    144
8.  カメルーン バメンダ   132
9.  中国 ケイ台       128
10. 中国 保定        126
11. インド デリー      122
12. インド ルディヤーナー  122
13. サウジアラビア ダンマーム121
14. 中国 石家荘       121
15. インド カーンプル    115
16. インド カナ       114
17. インド フィールーザバード113
18. インド ラクナウ     113
19. 中国 邯鄲        112
20. パキスタン ペシャーワル 111
       (2016年 WHO調べ)

 日本のPM2.5環境基準では「年平均で15μg/m3以下であり、かつ1日平均値35μg/m3以下」としていますから、年平均100以上ある都市など論外です。インドは首都デリーをはじめとした北部から10都市もランクインしています。中国は首都北京を囲む華北地域の4都市が並びます。北京の年平均は「85」くらいです。2016年の第517回「重篤大気汚染がインド亜大陸全域で急速に拡大」でインドと中国の汚染の動向を掲げました。2011年にピークだった中国はやや改善の方向に見えますが微々たるものであり、インドは北部はもちろん南部までも悪化の一途です。

 こうした中、6/5付の《大気汚染の影響による死亡数が世界2位のインド、2030年までに電気自動車のみ販売へ》(新電力ネット)がこう伝えました。

 《インド政府は、国内で販売する自動車について2030年までに全て電気自動車とする政策方針を発表しました。インドでは年間100万人以上がPM2.5の影響で死亡しているという報告もあり、電気自動車への変換によって大気汚染が改善することが期待されます》《インドだけではなく、中国が4月に発表したロードマップにおいても、2025年に予想される年間3500万台の自動車販売の内、少なくとも5分の1を代替燃料車が占めることを目標としています》

 しかし、現在の電源構成を見ると石炭火力がインドで76%、中国で60%を占めています。インド政府は昨年末に「今後10年は石炭火力発電の新設をゼロにする」との国家電力計画案を公表しました。現在でも電力不足で停電が多発しているインドにして、再生可能エネルギーを大幅に増やす計画は意欲的ではあっても実現可能なのでしょうか。さらに電気自動車の使用分が追加として加わるのです。

 安易な電気自動車(EV)シフトへの警鐘はこれまでにも鳴らされています。昨年9月、フィナンシャル・タイムズの《欧州、電気自動車増で大気汚染の恐れ》は欧州環境庁《EEAの研究は、EVの充電に石炭火力発電だけが使われた場合、EVのライフサイクルを通したCO2排出量がガソリン車やディーゼル車より多くなることを示す、以前の研究を基礎として発展させたものだ。大気汚染の専門家らは、EEAの最新の調査結果は、EVが増える中で、各国が環境に優しい発電方法を検討する必要性を浮き彫りにしたと話している》と述べています。

 また《EEAの研究によれば、EVのシェアが2050年までに80%に達すれば、充電のために150ギガワット(GW)の追加電力が必要になるという》としており、大型原発50基を新設する電源に相当します。インドのように自動車全面移行を唱えるならば相当の覚悟と計画が必要です。非効率的と知られるインドの行政にその能力ありやです。第530回「インドでは首都に住んだら寿命が6.4年縮まる」で描いたようにインドの環境大臣の現実認識は信じられません。


社会の鏡インターネット検索、20年目にして危機

 インターネット検索が登場して20年、便利なだけでなく市民の集合知で社会の姿を映し出す機能が非常に危ぶまれる状況になっています。圧倒的シェア首位のグーグルがスマホ利用者の利便を重視し中身軽視に走るからです。商用のネット検索が使われるようになった1997年から、私は検索を活かしたネット評論を書き続けています。グーグル登場は翌1998年であり、ページ相互のリンク関係を集計して出した検索結果ランクは、これまでマスメディアが独占したニュース価値判断を覆し、市民社会自身による価値付け・重み付けと言えるものでした。ところが、例えばヤフー個人ニュースのアクセス統計でスマートフォンが7割を占めるほどになっており、グーグルは2015年にスマホ重視を打ち出して2016年からは更に強化しました。「モバイルフレンドリー」でないサイトは検索結果の順位を大きく下げたのです。


 私の「インターネットで読み解く!」からのページを、グーグルのモバイルフレンドリーテストに掛けた例です。もともとパソコンで読んでもらうページですから横幅がスマホ画面の2倍くらいの設定になっています。スマホできちんと読むなら横方向にもスクロールしなければなりませんから「このページはモバイルフレンドリーではありません」と駄目が出されました。

 「インターネットで読み解く!」サイトのアクセスにどう響いたか紹介します。グーグルのスマホ重視以前は月に約2万件の検索サイト経由のアクセスがありましたが、今年になると月間数件と激減しています。読まれたページがお気に入りとしてブックマークされる件数が月に2万近かったのに今は4千前後になっています。つい一昨年まで実際に読んで有用と判断されたページが、現在はこれほど使われなくなっています。

 順位を下げる要素はモバイルフレンドリーだけではないとの指摘が《もうGoogle検索ってダメかもね》(ふくゆきブログ)にあります。モバイル対応の他に「サーバーのレスポンスが遅いと順位が下がる」「古い記事は順位が下る」などがあり、「だんだん情報の本質的でない部分が検索の順位に影響してきて、検索しても見つけたい情報がさらに見つかりにくくなってくるかもしれません」と危惧しています。

 この危惧通りの経験を私がまさにしています。以前はニュースサイトで読んでちょっと気になったページがあっても放置して「必要な時に検索で簡単に見つかるよ」と楽観していたものですが、いまや検索しても出て来ません。少しでも気になったらテーマ別のファイルに入れておかないと、検索では巡り会えなくなっています。少し前までは考えられない事態です。

 まとめサイトが妙に優遇されたのも画面の狭いスマホでさくっと読めるからでしょう。これでは検索で本当に見つけたい情報が霧の彼方になってしまいます。例を上げましょう。2013年の第346回「『がん村』放置は必然、圧殺する中国の環境司法」で中国人研究者による科研費研究「中国環境司法の現状に関する考察〜裁判文書を中心に〜」を見つけ出しました。公害無過失責任をうたいつつ中国の環境司法はほとんど司法手続を受け付けない壁を設けて住民の訴えを圧殺していると、実証的に明らかにした労作です。当時でも様々にキーワードを工夫して検索でようやく見つけました。これはスマホには不向きなPDFファイルであり、今のグーグル検索では当時のようには発見できないと思います。

 この5月が私のネット評論活動の満20年です。1997年春には「goo」が商業検索を立ち上げ、「infoseek」が追いかけ、それを利用してインプレス社「INTERNET Watch」で連載を始めました。新聞記者をしていましたが、大きな仕事をしたのに取材記者から外れる左遷にあい、特例として社外活動の権利を得ました。それから色々な検索サイトを利用する中でグーグルとの出会いは鮮烈な印象がありました。ブログ隆盛期には新聞社内の記事審査リポートをブログ検索を使って書き、評判でした。なのに今となってはこれまでのように「主に検索を利用して書いている」とは言えなくなって絶望的な気分にさせられるとは、「グーグルは何を考えてるのだ」と叱責したくなります。

 【5/6追補】Facebookである方がこの記事に対して「Googleは、自身のビジネスのために自らを変化させているのであって、それは、至極当然の事です。Googleに文句を言うのは、筋違いと思います」とおっしゃいました。私の答えは以下です。皆さんはどうお考えでしょうか。
 「受信料とか購読料とかを取っていないグーグルが何をしても自由ですよ。しかし、この20年間、暗黙のうちに築かれてきた市民社会的な了解が崩壊していくのを指摘するのが今回記事の目的です。グーグルが『知らぬこと』とうそぶくなら、それまでの企業と了解するまでです。グーグルにとって本業中の本業で声望が地に墜ちます」


科学技術立国崩壊の共犯に堕したマスメディア

 英ネイチャー誌3月特集が「日本の科学力は失速」と明確に打ち出したのをマスメディアは理解できなかったと言わざるを得ません。科学技術立国崩壊を食い止めるおそらく最後の機を逃し、失政の共犯者に堕しました。ネイチャーによる日本語プレスリリースはこう述べています。世界の《全論文数が2005年から2015年にかけて約80%増加しているにもかかわらず、日本からの論文数は14%しか増えておらず、全論文中で日本からの論文が占める割合も7.4%から4.7%へと減少しています》《他の国々は研究開発への支出を大幅に増やしています。この間に日本の政府は、大学が職員の給与に充てる補助金を削減しました》《各大学は長期雇用の職位数を減らし、研究者を短期契約で雇用する方向へと変化したのです》……この国立大学法人運営費交付金の削減と世界での論文数シェア減少の相関ぶりがひと目で理解できるグラフを用意しました。


 2015年の科学技術白書に収録されている「全分野での論文数シェア」グラフは2011年までですからネイチャー指摘の2015年まで延長しました。その中に第495回「浅知恵、文科省による研究崩壊へ予算編成開始」(2015年9月)で作った交付金の推移グラフを年次が合うように縮小して取り込みました。両者の因果関係を何年も前から主張し続けてきましたが、大本営発表報道で飼いならされたメディアは政府が認めないので見てみぬ素振りです。これには国立大学協会に提出された豊田長康・鈴鹿医療科学大学長による「運営費交付金削減による国立大学への影響・評価に関する研究」と題した実証的な報告がある点も紹介します。

 4月16日付で日経新聞が《社説・科学技術立国の堅持へ大学改革を》を出しました。他のメディアがネイチャーの分析をお座なりに扱ったのに比べたら社説を書くだけマシとしなければならないでしょうか。

 《ネイチャーの警告は重く受け止めるべきだ。何が活力を奪っているのか。大学関係者からは、国が支給する運営費交付金の削減をあげる声が多い。交付金は教員数などに応じて配分され、大学運営の基礎となってきた。政府は04年度の国立大学法人化を機に毎年減額し、この10年間で約1割減った。しかし、大学予算全体はそれほど減っていない。政府は交付金を減らす代わりに、公募方式で研究者に資金獲得を競わせる「競争的研究費」を増やしてきた。本質にあるのは研究費不足ではなく、もっと構造的な問題とみるべきだ》

 そして、研究者の高齢化・年功序列、若手の研究職がなく高学歴ワーキングプア化、閉塞感の打破などをあげ、「大学の自発的な改革を加速させるときだ」が結論です。しかし、ネイチャー特集に含まれる角南篤・政策研究大学院大学副学長のコメント《多くの大学人は政府主導の改革に懐疑的であり、もはや自ら改革が出来ないほど大学財政は窮迫している》とあるのをお読みになるべきです。

 交付金は今後も年に1%ペースの継続削減が決まっており、第535回「文科省主導の大学改革が国立大の首を絞める」で取り上げた「教員1人年間研究教育費が3万円」という、何のために大学教授がいるのか理解不能な悲喜劇ぶりを知るべきです。

 大学の現場にいる一級の研究者が極めて悲観的な展望を持つ現状は第542回「ノーベル賞・大隅さんの警鐘は政府に通じまい」で伝えました。大隅さんの憂慮を再録します。《競争的資金の獲得が運営に大きな影響を与えることから運営に必要な経費を得るためには、研究費を獲得している人、将来研究費を獲得しそうな人を採用しようという圧力が生まれた。その結果、はやりで研究費を獲得しやすい分野の研究者を採用する傾向が強まり、大学における研究のあるべき姿が見失われそうになっているように思える》

 さりながら昔に戻せば良いとは思いません。2004年の国立大学独立法人化にあたって書いた第145回「大学改革は最悪のスタートに」〜急務はピアレビューを可能にする研究者の守備範囲拡大〜の問題意識は現在でも有効です。大学改革は欧米に比べて大きな欠陥を抱えた研究の仕方を改めるのではなく、むしろ学閥優先に振れてきた十余年の壮大な失政でした。それを認めてやり直さなければならないのに、この国のマスメディアは小手先の改革がまだ通用すると軽薄に思い、政府にちょっと改善を促す程度で実際は追随し続けます。